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岐阜地方裁判所 昭和61年(行ウ)10号 判決

原告

大古徳夫

右訴訟代理人弁護士

鷲見和人

箕輪弘隆

横山文夫

安藤友人

被告

大垣労働基準監督署長和田栄輔

右指定代理人

古江頼隆

塩谷紀夫

柳田義雄

西野清勝

波多野昭良

後藤朝毅

中里弘

金森輝夫

江崎隆雄

川村清彦

土屋武

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告に対し、昭和五八年八月四日付でなした労働者災害補償保険法に基づく障害補償給付を支給しない旨の処分は、これを取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三七年四月ころから同年九月ころまで奈良県十津川村風屋所在の古沢木材に雇われたのを皮切りに、昭和四七年一一月ころに岐阜市真砂町一〇丁目一四番地所在の坂本木材株式会社を退職するまでの間、別紙職歴表記載の期間に同表記載の職場において、チェーンソーを使用する立木伐採作業に従事した。そして、原告は、右就労期間中、連日一日平均六時間もの長時間にわたって、チェーンソーの発する激しい騒音に曝露されていた。

2  その結果、原告は、前述の昭和四七年一一月ころの退職の後、耳鳴りや難聴を自覚するようになった。

そこで、昭和五七年一一月二四日、徳島市下助任町四丁目九の一所在の徳島健生病院において聴力検査を受けたところ、平均純音聴力損失度が右耳五五デシベル、左耳四五デシベルの左右耳感音性難聴であるとの診断を受けた。

3  原告は、昭和五八年六月二日、被告に対し、前項の障害について、労働者災害補償保険法(以下、単に「法」という。)一二条の八、一五条に基づく障害補償給付の支給を請求した。

4  被告は、原告に対し、昭和五八年八月四日、右請求にかかる障害補償給付請求権が法四二条の定める時効期間の経過によって既に消滅したとの理由で、その支給をしない旨の処分(以下「本件不支給処分」という。)をした。

5  原告は、本件不支給処分を不服として、昭和五八年九月三〇日、岐阜労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、右請求は昭和五九年五月一日棄却された。

更に、原告は、同年七月二日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、右請求は昭和六一年三月二七日に棄却された。

6  しかしながら、本件不支給処分は、法四二条の解釈、適用を誤った違法な処分であるから、その取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、原告が昭和四五年五月ころから昭和四七年一月ころまで坂本木材株式会社に勤務していたことは認めるが、その余の事実は不知。

2  同2の事実は不知。仮に、原告が難聴に罹患していることが認められるとしても、それが騒音に起因するものであることは否認する。

3  同3ないし5の事実は認める。

三  被告の主張

1  原告は、職業性難聴に罹患していない。

(一) いわゆる騒音性難聴の特質について

(1) およそ業務に起因する難聴は、その原因から次のように分類することができる。

ア 災害性難聴

爆発など大きな音響や気圧によって、あるいは頭部の外傷などによって、瞬時に聴力が低下するものをいう。

イ 騒音性難聴

慢性的に騒音に曝露されているうちに、漸次、進行する難聴であり、本件で問題になっている職業性難聴が、これにあたる。

ウ 騒音性突発性難聴

騒音性難聴が、進行するような過程で強大音響もないのに突発的に、あるいは数十時間のうちに急速に起こる難聴をいう。

エ 中毒性難聴

鉛、有機水銀、ひ素などによる、いわゆる工業中毒などに伴う難聴で、これらは内耳から中枢にかけての部位が侵される。

オ 高気圧による難聴

潜函病、潜水夫病に伴って、あるいはその後遺症としての難聴をいう。

(2) 右のうち、騒音性難聴は、以下のような病態を示すものとされている。

ア 一般に聴力は、ある一定限度以上の騒音に繰り返し曝露されると次第に障害される。右聴力障害は、まず高音域から始まり、一般に初期の段階では、オクターブオージオメトリーにおいてオージオグラムが、c5dipの型(四〇〇ヘルツ付近に限局した聴力障害)を示す。右高音域の聴力障害の進行は、騒音曝露の比較的早い時期において著明で次第にその障害進行速度は緩慢となるが、一方曝露期間に応じてより高音域へ、次いで中音域、低音域へと拡がるとされている。

イ 騒音曝露によって障害される部位は、内耳であり、内耳に起こる病的変化の発生機序は、必ずしも解明されていないが、蝸牛基底回転におけるラセン器の変性であると考えられており、現在までのところ、有効な治療法が確立されていない。

ウ 騒音性難聴は、一般に両側性であり、騒音下の作業を離れると増悪しない性質を有している。

(二) 騒音性難聴の認定について

騒音性難聴の認定基準(労働省労働基準局長通達基発第一四九号昭和六一年三月一八日)は、以下のとおりである。

(1) 騒音性難聴は、金属研磨、鋲打、圧延など著しい騒音を発する場所における業務に従事していた労働者に発生した難聴であって、以下に掲げる要件をみたす場合に、これを認定することができる。

ア 著しい騒音(おおむね八五デシベル以上)に曝露される業務に長期間引続き従事した後に発生したものであること。

イ 鼓膜または中耳に著変がないこと。

ウ 純音聴力検査の結果が次のとおりであること。

〈1〉 オージオグラムにおいて気導値及び骨導値が障害され、気導値と骨導値に明らかな差がないこと。すなわち、感音難聴の特徴を示すこと。

〈2〉 オージオグラムにおいて聴力障害が低音域より三〇〇〇ヘルツ以上の高音域において大であること。

なお、聴力検査結果の評価については、以下の点に留意しなければならない。

〈3〉 騒音性難聴のオージオグラムは、聴力障害の現れ方が両耳ほぼ同じである(ただし、作業態様などによっては両耳のオージオグラムに差が認められるものもある。)。

〈4〉 騒音性難聴以外に伝音難聴を合併していると思われる混合難聴で、気導値と骨導値に差があり、骨導値に明らかな障害が認められる場合は、耳鏡検査、側頭骨エックス線撮影による検査、チンパノメトリーを行い、また、必要に応じて各種の中耳検査を行い、それらの結果を認定の際の参考とすること。

〈5〉 騒音性難聴以外の感音難聴を合併していると思われる場合または機能性難聴が疑われる場合には、必要に応じて、語音聴力検査、会話聴取検査、内耳機能検査、後迷路機能検査、他覚的聴力検査またはステンゲル法などを行い、認定の際参考とすること。

エ 以下に掲げるものによる難聴でないと判断されるものであること。

〈1〉 メニエール病

〈2〉 薬物中毒

〈3〉 爆(発)音、頭・頸部外傷などによる内耳障害

〈4〉 遺伝性・家族性難聴

〈5〉 老人性難聴

〈6〉 機能性難聴

〈7〉 その他騒音性難聴以外の感音難聴

(三) 原告の騒音性難聴の罹患について

前述の騒音性難聴の認定基準に徴すると原告が騒音性難聴に罹患しているという事実は認め難い。

(1) 徳島健生病院における聴力検査の結果については以下の疑問がある。

ア 徳島健生病院の診療科目には、耳鼻科はなく、昭和五七年三月一二日原告の聴力検査を徳島市内の大櫛耳鼻咽喉科の大櫛弘篤医師に嘱託しているところ、右大櫛医師は原告は神経性難聴(老人性難聴タイプ)であって騒音性特異な聴力像ではない旨診断したにもかかわらず、その後、同年一一月二四日に再度、徳島健生病院において、原告について聴力検査を実施しているが、右大櫛耳鼻咽喉科における聴力検査値と徳島健生病院における聴力検査値とでは差(五デシベルから一〇デシベル以上)があり、徳島健生病院における検査値の方が、聴力損失度が大きく、耳鼻科専門医の手によらない徳島健生病院の検査結果には、疑問がある。

イ また、原告については、そのオージオグラムが、必ずしも騒音性難聴に特異な聴力像ではなく、伝音難聴や騒音性難聴以外の感音難聴が疑われたのであるから、純音聴力検査だけでなく前記のような各種検査を実施して、より総合的な判断をすべきであり、さらに昭和五七年一一月二四日の検査結果は、耳鼻科専門医である大櫛耳鼻咽喉科の検査値と異なるのであるから、診断日である昭和五八年三月一五日に少なくとももう一度聴力検査を実施すべきであったにもかかわらず、それらがなされていない。

(2) 仮に徳島健生病院における聴力検査値が正しいとしても、原告のオージオグラムが、典型的な騒音性難聴のオージオグラムとは異なっていること、原告が高齢で、老人性難聴が強く疑われること、両耳の聴力損失度の左右差が大きいことなどから、前記騒音性難聴の認定基準に照らして、原告が、騒音性難聴に罹患していたとは認め難い。

2  仮に、原告が騒音性難聴に罹患していたとしても、本件請求は除斥期間経過後になされたものであるから不適法であり、しからずとしても「障害補償給付を受ける権利」が消滅時効の完成により消滅した後になされたものというべきである。被告は、これに基づいて本件不支給処分をしたのであって、該処分は適法である。以下、この点について敷衍して説明する。

(一) 法四二条は、「障害補償給付を受ける権利は、五年を経過したときは、時効によって消滅する。」旨規定しているが、右の「障害補償給付を受ける権利」とは、障害補償給付の支給決定に関する行政処分を求める権利であって、具体的な障害補償給付金請求権を意味するものではなく、具体的な障害補償給付金請求権は、所轄労働基準監督署長の支給決定によって初めて取得することとなるものである。すなわち、労働者災害補償保険法上の業務災害に関する保険給付は、災害補償の事由が生じた場合に、その請求に基づいて、労働基準監督署長の決定により行われるものであり(法一二条の八第二項、労働者災害補償保険法施行規則一八条の二、一九条)、「障害補償給付を受ける権利」は、労働基準監督署長の決定の申請権というべきである。ところで、法四二条は、障害補償給付を受ける権利は、「時効によって消滅する」との文言を用いているが、行政法上の時効及び除斥期間についても、条文の字句にとらわれず、期間制限の趣旨や期間制限が付されている権利の性質にかんがみて、いずれに解するのが妥当かを考慮して判断すべきであるが、「障害補償給付を受ける権利」は、その行使が容易であり、これらの権利関係をいたずらに長期にわたって不安定な状態のもとにおくことは、煩雑な事務をますます複雑化するおそれがあるので、画一的な処理をするために五年の期間を設けたものであると解される。そして、右の「障害補償給付を受ける権利」は、いわば、手段的権利であって、権利主体の単独行為によってその目的を達し得る権利であり、したがって、法定期間内にいつでもその権利を行使し得るのであるから、時効の中断を認める実益はなく、時効の中断を認めることは無意味であり、この権利は、裁判上行使されるものではなく、また、裁判によってその目的を達成するものでもなく、訴訟とは必然的な関連性を有さないものであって、時効の援用の観念も容れ難く、また、遡及効を認める余地もないことからすると法四二条の規定は、その条文の字句にもかかわらず、「時効」を規定したものではなく、除斥期間を定めたものと解すべきである。

右除斥期間の起算点については、法的に権利の行使が可能となったときと解すべきであり、しかして、法一二条の八第二項、労働基準法七七条によれば、障害補償給付は、「労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり、治ったとき身体に障害が存する場合」に支給すべきものであるから、右支給事由の生じたとき、すなわち、業務に起因する負傷または疾病が治ったときに当該労働者による障害補償給付請求権の行使は可能になるというべきところ、右にいわゆる「治ったとき」とは、「症状の安定、すなわち、その症状が固定し、以後の医療効果が期待しえなくなった状態」を指すものと解すべきである(昭和二三年一月一三日基災発第三号労働省労働基準局労災補償部長回答)。ところで、騒音性難聴は、〈1〉騒音職場で業務を続ける限り進行する、〈2〉騒音職場の作業に従事しなくなった後は、症状が進行しない、〈3〉予防としては、騒音に曝露される機会をなくすに限られる、〈4〉有効な治療法が現在のところない、等の特質を有しており、このような特質に徴すると、騒音性難聴の症状固定時期は、当該労働者が騒音職場から離脱したときであると認めるのが相当である。したがって、当該労働者は右時期の到来とともにこれに関する障害補償給付請求権を行使することが可能になると解すべきである(昭和二六年一〇月二四日基収第三二〇九号労働省労働基準局長回答参照)。これを本件についてみるに、原告は、遅くとも、昭和四七年一一月三〇日には騒音職場を離脱したことが明らかであるから、その翌日である同年一二月一日から起算して五年を経過した後になされた本件請求は不適法である。

なお、法四二条の規定が除斥期間を定めたものであると解される以上、民法七二四条をこれに類推適用することが許されないのは当然である。

原告は、騒音性進行性難聴の可能性について主張しているが、騒音性進行性難聴は、その発生機序が明らかでなく、データ、研究ともに不十分であり、現在の医学的知見において未だ肯認されたものとはいえない。したがって、騒音性難聴は、騒音職場離脱後は進行しないと見るべきであって、その後進行がみられたとしてもそれは加齢現象などの騒音以外の原因によるものであるところから、騒音性難聴の症状固定時期は、少なくとも騒音職場離脱の日以後ではないというべきである。

(二) 仮に、法四二条の規定が消滅時効を定めたものであるとしても、その起算点は、法一二条の八及び労働基準法七七条により、前述のいわゆる症状固定のときであると解されるのであり、本件についてはこれは騒音職場を離脱した時期と認めるべきである。したがって、本件請求は、「障害補償給付を受ける権利」が時効により消滅した後になされたものである。

原告は、これに対して、法四二条の消滅時効の起算点については、民法七二四条の類推適用があり、当該労働者が負傷または疾病の業務起因性を認識したときから時効の期間が進行すると解すべきであると主張するが、障害補償給付請求権は労働者の生活保障を目的とした公法上の権利であり、不法行為に基づく損害賠償請求権とは基本的に性質が異なるものであるし、消滅時効の起算点を業務起因性の知・不知という専ら労働者の主観的事情によって左右させることは、消滅時効の起算点を不明確にし、権利関係をいたずらに長期にわたって不安定な状態におくことになるから、法四二条が法律関係の安定と画一的処理をはかるために五年の短期消滅時効を定めた趣旨を没却するものであって、失当といわざるを得ない。

(三) 仮に、法四二条の規定が消滅時効を定めたものであり、かつ、民法七二四条の類推適用が認められるとしても、騒音職場において騒音に曝露されていた労働者に聴力障害が生ずることは一般に広く知られた事実であり、原告は、医師の診断を待つまでもなく、自己の難聴が騒音に曝露されたことによるものであることは、騒音職場を離脱したときには既に覚知していたというべきであって、結局、昭和五二年一一月三〇日の経過をもって消滅時効が完成したことには、かわりはない。

四  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1  被告の主張1の(一)(2)ウの騒音性難聴は一般に両側性であり、騒音下の作業を離れると増悪しない性質を有しているとの点は否認し、同1(一)のその余の事実、(二)の各事実は認める。同1(三)のうち(1)ア及びイの徳島健生病院の検査値に疑問があるとの点は否認し、原告が騒音性難聴でないとの主張は争う。

2  同2中の各事実のうち、原告が騒音職場を離脱したのが遅くとも昭和四七年一一月三〇日であったことは認め、騒音職場離脱時には難聴の業務起因性を覚知していたとの点は否認し、その余の法律的主張は全て争う。

3  本件請求は除斥期間経過後または消滅時効完成後になされたものであるとの被告の主張は誤りであることにつき、以下説明する。

(一) 法四二条の障害補償給付請求権の消滅時効期間の進行開始の要件としては、その行使が客観的に可能であることのみならず、これに加えて、当該労働者において、その障害が業務に起因するものであることを知ることを要すると解すべきである。

障害補償給付の対象となる諸障害の中には、その業務起因性が必ずしも明白ではなく、専門的、医学的鑑別診断を経ることによって初めてその業務起因性を確認することができるものも少なくなく、このような種類の障害にあっては、当該労働者が業務起因性を知るまでは、補償給付の請求をすることはおよそ不可能である。

したがって、法四二条の消滅時効については、民法七二四条を類推適用し、当該労働者が、その障害の業務起因性を知ったときから進行を始めるものと解すべきである。

(二) 被告は、騒音性難聴は騒音下の作業を離れると増悪しない特質を有していると主張するが、騒音曝露の中止後にも難聴の進行する型(騒音性進行性難聴)があり、騒音性難聴の症状固定は騒音職場の離脱時であると限らない。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実のうち、原告が昭和四五年五月ころから昭和四七年一月ころまで坂本木材株式会社に勤務していたことは当事者間に争いがなく、その余の事実は、(証拠略)によって認めることができる。

請求原因3ないし5の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件では、請求原因2の事実の成否はさておき、まず被告の主張2、すなわち本件請求は法四二条の除斥期間経過後あるいは消滅時効完成後になされたものである旨の被告の主張の適否につき検討する。

1  法四二条の規定は、除斥期間を定めたものか消滅時効を定めたものかにつき、まず検討する。

(一)  法令の解釈にあたっては、必ずしもその字句のみにとらわれるべきではないが、成文法主義をとる以上、文言を第一の手掛かりとして、立法の経緯等から推認される立法趣旨などを斟酌して解釈を行うべきことは当然である。

法四二条は、「(障害補償給付を受ける権利は)、五年を経過したときは、時効によって消滅する。」と規定しているところ、「時効によって消滅する。」という文言は通常消滅時効を意味するものであり、のみならず、法三五条二項は同条一項の規定する審査請求又は再審査請求が時効の中断に関しては裁判上の請求とみなされる旨を定めているのであって、しかも法は昭和二二年の制定以来数次の改正を経ており、四二条そのものも改正の対象となったにもかかわらず、当初から一貫して「時効によって消滅する。」という文言が使用されていることを総合勘案すると、法四二条は消滅時効を規定したものと解するのが相当である。

これに対して、被告は、「障害補償給付を受ける権利」は障害補償給付の支給決定に関する行政処分を求める権利に過ぎず、かかる手段的権利には時効の中断を認める実益がなく、また時効の援用の観念もいれ難いし、更に、遡及効を認める余地もない等の事情によれば除斥期間であると主張する。しかしながら、被告のいうように「障害補償給付を受ける権利」が行政処分を求める権利であると解するとしても、労働基準監督署長に対して右行政処分を求めただけでは時効が中断されるわけではないから、右行政処分を求める権利においても時効の中断を認める実益がないとはいい難いし、前述のとおり法三五条二項は、審査請求又は再審査請求は時効の中断を認める趣旨の規定を定めているのであって、この点に関する被告の主張は失当である。また、確かに法四二条の期間が経過すると権利の消滅は確定的となり、労働基準監督署長の時効の援用を要しないのであるが、これは、国に対する公法上の債権については会計法三一条一項が類推適用され、これにより、消滅時効の援用を要せず、時効利益の放棄も許されないことからくる帰結であるから(「障害補償給付を受ける権利」が行政処分を求める権利に過ぎないとしても、結局その請求がいれられて支給決定がなされた場合には金銭債権を獲得するのであるから、前記会計法の規定は類推適用されると考えられる。)、これをもって法四二条の規定が消滅時効を定めたものでないとする根拠とはなりえない。また、「障害補償給付も受ける権利」の時効消滅に遡及効を認める余地がないとも直ちにいい難い。

また、被告は、証人等の被害についての給付に関する法律九条及び犯罪被害者等給付金支給法一〇条二項がいずれも除斥期間を定めた規定であることも法四二条が除斥期間の規定であることの一つの根拠である旨いうが、立法者が一定期間の経過によってある権利が消滅する旨の規定を設ける場合、これを消滅時効とするか除斥期間とするかは理論的、演繹的に決まるものではなく、すぐれて立法政策的な問題であって、被告主張の前記各法律に除斥期間の規定があるからといって、直ちに法四二条が除斥期間を定めたと解することはできない。

以上によれば、被告の右主張はいずれも理由がなく、法四二条が除斥期間ではなく、消滅時効を定めた規定であることは明らかである。

2  次に、法四二条の消滅時効の起算点につき検討する。

(一)  法四二条の消滅時効の起算点については、法に特別の規定がないため、一般法理である民法一六六条により、権利の行使が客観的に可能となる必要があると解すべきである。

障害補償給付を受ける権利(以下、便宜上「障害補償給付請求権」という。)は、法一二条の八第二項、労働基準法七七条によれば、「労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり、治ったとき身体に障害が存する場合」に発生すると解されるところ、右にいう「治ったとき」とは、症状の安定、すなわち、その症状が固定し、以後の医療効果が期待しえなくなった状態をいうものと考えられる。

(二)  次に、症状固定の状態に至った場合には、即時に法四二条の時効期間は進行を始めるのか、それとも被災労働者が、その症状が固定したとしても、あとに残った障害が業務に起因することを知るまでは進行を始めないのかが問題となる。

障害補償給付の対象となる障害の中にはその業務起因性が明白でなく、専門的、医学的な鑑別診断を経るなどして初めて被災労働者が業務起因性を認識することができる場合も少なくはないことは裁判所に顕著な事実であって、このような場合に、当該労働者が業務起因性を認識する前に補償給付を請求することは、現実的には全く不可能である。このことは、不法行為の被害者において、加害者、損害の発生、加害行為の違法性及び加害行為と損害の相当因果関係の全てを認識するまでの間、加害者に対し損害賠償請求を行うことが事実上できないのと同様である。このような場合にも、法四二条の消滅時効は進行するとするならば、現実的には当該労働者が補償給付を請求することができなかった間に時効が完成してしまう場合も少なからず生じるわけであり、このような事態は主として労働者の救済を目的とする法の趣旨に副わないものというべきであって、これらを総合考慮すれば、法四二条の消滅時効は、民法七二四条の類推適用により、当該労働者において障害の業務起因性を認識したときから進行すると解するのが相当である。

これに対して、被告は、障害補償給付請求権は公法上の権利であるから不法行為に基づく損害賠償請求権とは基本的に性質が異なる、消滅時効の起算点を労働者の主観的事情によって左右させることは権利関係を不安定な状態におくことになり、法四二条が短期消滅時効を定めた趣旨を没却すると主張する。しかしながら、公法上の権利であるということによっては民法上の規定の類推適用を一般的に排除する根拠とはなり得ないことは明らかであり、また、消滅時効の起算点を主観的事情により左右させることは権利関係を不安定にするというのは確かに事実であるが、法の主たる目的は労働者の救済であって、業務上疾病によって生じた障害が右の性質を有するものであることに鑑みると被災労働者が実質的に権利の行使が不可能である場合を含めて業務上疾病によって生じた障害全部につきその症状固定後直ちに消滅時効を進行させ権利関係の安定と画一的処理をはかる必要があるという被告の主張は到底採用することはできない。

2  以上の説示したところを前提に、本件請求にかかる障害保障給付請求権が時効により消滅しているか否かを検討する。

(一)  騒音性難聴が、被告の主張1(一)(1)の各事実、(2)のうちアイの各事実のとおりの特質、病態を示すことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すると次の各事実が認められる。

騒音性難聴は、短時間の曝露では障害を受けない程度の騒音を長期間聴いているうちに聴覚に障害を生ずる場合をいい、症状は習慣的にかなりの音響を聴いている人がいつとはなく耳の聞こえが悪くなっていることに気付くという状況が主なものであり、耳鳴りを伴うものが多い。聴力障害は感音性で、オージオグラムは左右対称性高音障害型を示すことが多い。騒音職場に勤務している人については、勤務年数の増加とともに難聴発現率は増加するが、それは一〇ないし一五年の間に著しく、その後は緩やかであるところ、一般健常人においても加齢により難聴者は増加することを考慮すれば、騒音に起因する難聴の発現は一〇ないし一五年でほぼ完了し、その後は加齢による変化が重畳するに過ぎないのではないかと考えられている。難聴は騒音職場を離脱した場合には増悪せず、むしろ軽快すると一般には考えられている。これに対し、騒音の曝露を受けなくなった後にも難聴が進行したり(騒音性進行性難聴)、あるいは曝露時には特別な障害が起こらなかったにもかかわらずその後に難聴になる(騒音性遅発性難聴)場合があると考える者もあるが、騒音性進行性難聴、騒音性遅発性難聴は、いずれも現在においては老人性難聴など他の原因による進行性難聴との区別をすることは困難であり、現在の医学水準において確立した知見とはいい難い。

(二)  (証拠略)を総合すると次の各事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和三七年四月ころから昭和四七年一月ころまでの間、別紙職歴表記載の期間に同表記載の職場において(このうち、最後の坂本木材株式会社に就労していたことは当事者間に争いがない。)、チェーンソーを使用する立木伐採作業に従事し、この間連日相当の長時間にわたってチェーンソーの発する騒音に曝露されていた。

(2) 原告は、チェーンソーを使用するようになって約二ないし三年後ころから、耳鳴り、手や肘の痺れを感ずるようになった。原告は、在職中から、同僚に聴覚に障害を生じた者がいたことなどもあって、耳鳴りが発生した原因はチェーンソーにあるものと考えていたが、耳鼻科の医師の診察は受けず、また耳栓をするなどの自衛策もとらなかった。

(3) 原告は、手等の痺れや疼痛はチェーンソーを使用したことによる振動病ではないかと考え、昭和五三年三月一七日、近隣の振動病患者から紹介を受けた徳島健生病院を受診した。原告は、医師に対して、痺れや疼痛の外に耳鳴りも症状として訴えた。

(4) 原告は、振動病による後遺障害につき、障害補償給付を請求し、労働基準監督署から支給決定を受けた。

また、前記徳島健生病院の医師から、聴力障害も労働災害であると示唆され、耳鼻科の大櫛医院への紹介状をもらって昭和五七年三月一二日に同医院で聴力検査を受け、更に同年一一月二四日徳島健生病院でも聴力検査を受けたところ、昭和五八年三月一五日に同病院樋端医師から騒音性難聴であると診断されたので、本件申請に及んだ。

(三)  以上の事実によれば、原告の聴力障害は騒音職場に就労してから約二ないし三年後から生じたのであるが、在職中から右聴力障害はチェーンソーの騒音に起因するものであると考えており、その後振動病で徳島健生病院において受診するようになってから、難聴にも障害補償給付の適用があることを知って本件申請に及んだものであり、遅くとも騒音職場離脱時である昭和四九年一一月ころには聴力障害の原因は騒音であるとの認識があったものと推認される。

これに対して、原告は、業務起因性を認識したのは早くとも徳島健生病院で聴力検査を受けた昭和五七年一一月二四日ころであると主張し、原告本人尋問の結果中にも難聴の原因が騒音とわかったのは同病院にいくようになってからであるとの供述がある。

しかし、そもそも騒音が聴力障害を惹起することは広く知られた事実であり、しかも前記認定のように原告の同僚にもチェーンソーの騒音が原因と思われる聴力障害者がいたことや、原告が徳島健生病院の初診の際振動病と関連ある症状として聴力障害を訴えていることなどによると、右供述をにわかに信用することはできず、また、原告本人尋問の結果中には在職中から耳鳴りとチェーンソーによる騒音とは関係があるとは思っていた旨の供述部分もあることからすると、原告が難聴の原因が騒音にあることに気づいたのは昭和五七年一一月二四日ころであるという供述部分はにわかに信用することができず、したがって、原告の右主張を採用することはできない。

(四)  これによれば、仮に原告の聴力障害がチェーンソー使用を伴う伐採業務に起因するものであったことが認められるとしても、騒音職場離脱時には既に業務起因性の認識があったものであり、法四二条の消滅時効の起算点は、症状固定時、すなわち騒音職場離脱時である昭和四九年一一月ころと考えるべきである。

原告は、騒音性進行性難聴の可能性もあるから症状固定時を職場離脱時に限定すべきでないと主張するが、前述のとおり騒音性進行性難聴や騒音性遅発性難聴の存在はまだ医学上の知見として承認されているとはいい難く、しかも原告本人尋問の結果中にも聴力障害の程度は就労の約二ないし三年後からあまり変化はないようだとの部分もあることなどを総合すると、症状固定時は騒音職場離脱時と推認することに格別の不都合を見出すことはできず、原告の右主張はこれを採用することはできない。

したがって、仮に原告の聴力障害が業務に起因するものであったとしても、これにかかる障害補償給付請求権は遅くとも昭和四九年一一月末日から五年後である昭和五四年一一月末日の経過をもって、時効により消滅していたものというべきである。

三  してみると、消滅時効の完成を理由に障害補償給付を支給しないとした本件不支給処分に違法の点は認められない。よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川端浩 裁判官 伊藤茂夫 裁判官 坪井祐子)

(別紙) 職歴表

〈省略〉

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